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最高裁判所第三小法廷 昭和48年(オ)499号 判決

上告人

国鉄労働組合

右代表者中央執行委員長

村上義光

右訴訟代理人弁護士

大野正男

外二名

被上告人

金子良造

外四七名

右全員訴訟代理人弁護士

中田義正

外三名

主文

上告人の本訴請求中、被上告人らに対しそれぞれ第一審判決添付第二目録の「(ホ)炭労資金」欄記載の金員(単位は円。以下同じ。)、「(ヘ)安保資金」欄記載の金員及び「(リ)春闘資金」欄記載の金員中三〇円並びにこれらに対する昭和三七年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

被上告人らは上告人に対し、それぞれ右目録の「(ホ)炭労資金」欄記載の金員、「(ヘ)安保資金」欄記載の金員及び「(リ)春闘資金」欄記載の金員中三〇円並びにこれらに対する昭和三七年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

上告人のその余の上告を棄却する。

訴訟の総費用中、上告人と被上告人泉光義、同崎前隆、同西元善一との間に生じた分は同被上告人らの負担とし、上告人とその余の被上告人らとの間に生じた分はこれを一〇分し、その一を上告人の負担とし、その余を同被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大野正男、同西田公一、同外山佳昌の上告状記載の上告理由及び上告理由書記載の上告理由について

一原判決によれば、上告組合がその組合員から徴収することを決定した本件各臨時組合費のうち、(1) 原判示の炭労資金三五〇円(組合員一人あたりの額。以下同じ。)及び春闘資金中の三〇円は、上告組合が日本炭鉱労働組合(以下「炭労」という。)の三井三池炭鉱を中心とする企業整備反対闘争を支援するための資金、(2) 原判示の安保資金五〇円は、昭和三五年に行われたいわゆる安保反対闘争により上告組合の組合員多数が民事上又は刑事上の不利益処分を受けたので、これら被処分者を救援するための資金(ただし、右資金は、いつたん上部団体である日本労働組合総評議会に上納され、他組合からの上納金と一括されたうえ、改めて救済資金として上告組合に配分されることになつていた。)、(3) 原判示の政治意識昂揚資金二〇円は、上告組合が昭和三五年一一月の総選挙に際し同組合出身の立候補者の選挙運動を応援するために、それぞれの所属政党に寄付する資金である、というのである。本件は、上告組合がその組合員であつた被上告人らに対して右各臨時組合費の支払を請求する事案であるが、原審は、労働組合は組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上という目的の遂行のために現実に必要な活動についてのみ組合員から臨時組合費を徴収することができるとの見解を前提としたうえ、右(1)については、上告組合が炭労の企業整備反対闘争を支援することは右目的の範囲外であるとし、(2)については、いわゆる安保反対闘争自体が右目的の達成に必要な行為ではないから、これに参加して違法行為をしたことにより処分を受けた組合員を救援することも目的の範囲を超えるものであるとし、更に、(3)については、選挙応援資金の拠出を強制することは組合員の政治的信条の自由に対する侵害となるから許されないとし、結局、右いずれの臨時組合費の徴収決議も法律上無効であつて、被上告人らにはこれを納付する義務がない、と判断している。

論旨は、要するに、原審の前提とした労働組合の目的の範囲に関する一般的判断につき民法四三条、労働組合法二条、上告組合規約三条、四条の解釈適用の誤り及び理由齟齬の違法を主張するとともに、右(1)に関する判断には、同組合規約三条、四条の解釈適用を誤り、社会通念及び経験則に違反した違法、同(2)に関する判断には、憲法二八条、労働組合法二条、同組合規約三条、四条の解釈適用を誤り、条理及び判例に違反した違法、同(3)に関する判断には、憲法一九条、二一条、二八条、労働組合法二条、民法九〇条の解釈適用を誤り、条理及び判例に違反した違法がある、というのである。

二思うに、労働組合の組合員は、組合の構成員として留まる限り、組合が正規の手続に従つて決定した活動に参加し、また、組合の活動を妨害するような行為を避止する義務を負うとともに、右活動の経済的基準をなす組合費を納付する義務を負うものであるが、これらの義務(以下「協力義務」という。)は、もとより無制限のものではない。労働組合は、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする団体であつて、組合員はかかる目的のための活動に参加する者としてこれに加入するのであるから、その協力義務も当然に右目的達成のために必要な団体活動の範囲に限られる。しかし、いうまでもなく、労働組合の活動は、必ずしも対使用者との関係において有利な労働条件を獲得することのみに限定されるものではない。労働組合は、歴史的には、使用者と労働者との間の雇用関係における労働者側の取引力の強化のために結成され、かかるものとして法認されてきた団体ではあるけれども、その活動は、決して固的定ではなく、社会の変化とそのなかにおける労働組合の意義や機能の変化に伴つて流動するものであり、今日においては、その活動の範囲が本来の経済的活動の域を超えて政治的活動、社会的活動、文化的活動など広く組合員の生活利益の擁護と向上に直接間接に関係する事項にも及び、しかも更に拡大の傾向を示しているのである。このような労働組合の活動の拡大は、そこにそれだけの社会的必然性を有するものであるから、これに対して法律が特段の制限や規制の措置をとらない限り、これらの活動そのものをもつて直ちに労働組合の目的の範囲外であるとし、あるいは労働組合が本来行うことのできない行為であるとすることはできない。

しかし、このように労働組合の活動の範囲が広く、かつ弾力的であるとしても、そのことから、労働組合がその目的の範囲内においてすべての活動につき当然かつ一様に組合員に対して統制力を及ぼし、組合員の協力を強制することができるものと速断することはできない。労働組合の活動が組合員の一般的要請にこたえて拡大されるものであり、組合員としてもある程度までこれを予想して組合に加入するのであるから、組合からの脱退の自由が確保されている限り、たとえ個々の場合に組合の決定した活動に反対の組合員であつても、原則的にはこれに対する協力義務を免れないというべきであるが、労働組合の活動が前記のように多様化するにつれて、組合による統制の範囲も拡大し、組合員が一個の市民又は人間として有する自由や権利と矛盾衝突する場合が増大し、しかも今日の社会的条件のもとでは、組合に加入していることが労働者にとつて重要な利益で、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けていることを考えると、労働組合の活動として許されるものであるというだけで、そのことから直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することは、相当でないというべきである。それゆえ、この点に関して格別の立法上の規制が加えられていない場合でも、問題とされている具体的な組合活動の内容・性質、これについて組合員に求められる協力の内容・程度・態様等を比較考量し、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である。

そこで、以上のような見地から本件の前記各臨時組合費の徴収の許否について判断する。

三炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)について

右資金は、上告組合自身の闘争のための資金ではなく、他組合の闘争に対する支援資金である。労働組合が他の友誼組合の闘争を支援する諸活動を行うことは、しばしばみられるところであるが、労働組合ないし労働者間における連帯と相互協力の関係からすれば、労働組合の目的とする組合員の経済的地位の向上は、当該組合かぎりの活動のみによつてではなく、広く他組合との連帯行動によつてこれを実現することが予定されているのであるから、それらの支援活動は当然に右の目的と関連性をもつものと考えるべきであり、また、労働組合においてそれをすることが組合員の一般的利益に反するものでもないのである。それゆえ、右支援活動をするかどうかは、それが法律上許されない等特別の場合でない限り、専ら当該組合が自主的に判断すべき政策問題であつて、多数決によりそれが決定された場合には、これに対する組合員の協力義務を否定すべき理由はない。右支援活動の一環としての資金援助のための費用の負担についても同様である。

のみならず、原判決は、本件支援の対象となつた炭労の闘争が、石炭産業の合理化に伴う炭鉱閉鎖と人員整理を阻止するため、使用者に対して企業整備反対の闘争をすると同時に、政府に対して石炭政策転換要求の闘争をすることを内容としたものであつて、右石炭政策転換闘争において炭労が成功することは、当時上告組合自身が行つていた国鉄志免炭鉱の閉山反対闘争を成功させるために有益であつたとしながら、本件支援資金が、炭労の右石炭政策転換闘争の支援を直接目的としたものでなく、主としてその企業整備反対闘争を支援するための資金であつたことを理由に、これを拠出することが上告組合の目的達成に必要なものではなかつたと判断しているのであるが、炭労の前記闘争目的から合理的に考えるならば、その石炭政策転換闘争と企業整備反対闘争とは決して無関係なものではなく、企業整備反対闘争の帰すうは石炭政策転換闘争の成否にも影響するものであつたことがうかがわれるのであり、そうである以上、直接には企業整備反対闘争を支援するための資金であつても、これを拠出することが石炭政策転換闘争の支援につながり、ひいて上告組合自身の前記闘争の効果的な遂行に資するものとして、その目的達成のために必要のないものであつたとはいいがたいのである。

してみると、前記特別の場合にあたるとは認められない本件において、被上告人らが右支援資金を納付すべき義務を負うことは明らかであり、これを否定した原審及び第一審の判断は誤りというほかなく、その違法をいう論旨は理由がある。

四安保資金について

右資金は、いわゆる安保反対闘争に参加して処分を受けた組合員を救援するための資金であるが、後記五の政治意識昂揚資金とともに、労働組合の政治的活動に関係するので、以下においては、まず働組合の政治的活動に対する組合員の協力義務について一般的に考察し、次いで右政治活動による被処分者に対する救援の問題に及ぶこととする。

1  既に述べたとおり、労働組合が労働者の生活利益の擁護と向上のために、経済的活動のほかに政治的活動をも行うことは、今日のように経済的活動と政治的活動との間に密接ないし表裏の関係のある時代においてはある程度まで必然的であり、これを組合の目的と関係のない行為としてその活動領域から排除することは、実際的でなく、また当を得たものでもない。それゆえ、労働組合がかかる政治的活動をし、あるいは、そのための費用を組合基金のうちから支出すること自体は、法的には許されたものというべきであるが、これに対する組合員の協力義務をどこまで認めうるかについては、更に別個に考慮することを要する。

すなわち、一般的にいえば、政治的活動は一定の政治的思想、見解、判断等に結びついて行われるものであり、労働組合の政治的活動の基礎にある政治的思想、見解、判断等は、必ずしも個々の組合員のそれと一致するものではないから、もともと団体構成員の多数決に従つて政治的行動をすることを予定して結成された政治団体とは異なる労働組合としては、その多数決による政治的活動に対してこれと異なる政治的思想、見解、判断等をもつ個々の組合員の協力を義務づけることは、原則として許されないと考えるべきである。かかる義務を一般的に認めることは、組合員の個人としての政治的自由、特に自己の意に反して一定の政治的態度や行動をとることを強制されない自由を侵害することになるからである。

しかしながら、労働組合の政治的活動とそれ以外の活動とは実際上しかく截然と区別できるものではなく、一定の行動が政治的活動であると同時に経済的活動としての性質をもつことは稀ではないし、また、それが政治的思想、見解、判断等と関係する度合も一様ではない。したがつて、労働組合の活動がいささかでも政治的性質を帯びるものであれば、常にこれに対する組合員の協力を強制することができないと解することは、妥当な解釈とはいいがたい。例えば、労働者の権利利益に直接関係する立法や行政措置の促進又は反対のためにする活動のごときは、政治活動としての一面をもち、そのかぎりにおいて組合員の政治的思想、見解、判断等と全く無関係ではありえないけれども、それとの関連性は稀薄であり、むしろ組合員個人の政治的立場の相違を超えて労働組合本来の目的を達成するために広い意味における経済的活動ないしはこれに付随する活動であるともみられるものであつて、このような活動について組合員の協力を要求しても、その政治的自由に対する制約の程度は極めて軽微なものということができる。それゆえ、このような活動については、労働組合の自主的な政策決定を優先させ、組合員の費用負担を含む協力義務を肯定すべきである。

これに対し、いわゆる安保反対闘争のような活動は、究極的にはなんらかの意味において労働者の生活利益の維持向上と無縁ではないとしても、直接的には国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を対象とする資動であり、このような政治的要求に賛成するか反対するかは、本来、各人が国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきこととであるから、それについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではない。もつとも、この種の活動に対する費用負担の限度における協力義務については、これによつて強制されるのは一定額の金銭の出捐だけであつて、問題の政治的活動に関してはこれに反対する自由を拘束されるわけではないが、たとえそうであるとしても、一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない。

2  次に右安保反対闘争のような政治的活動に参加して不利益処分を受けた組合員に対する救援の問題について考えると、労働組合の行うこのような救援そのものは、組合の主要な目的の一つである組合員に対する共済活動として当然に許されるところであるが、それは同時に、当該政治活動のいわば延長としての性格を有することも否定できない。しかし、労働組合が共済活動として行う救援の主眼は、組識の維持強化を図るために、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因たる行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を支持、助長することを直接目的とするものではないから、右救援費用を拠出することが直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、また、その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもないというべきである。したがつて、その拠出を強制しても、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なものであつて、このような救援資金については、先に述べた政治的活動を直接の目的とする資金とは異り、組合の徴収決議に対する組合員の協力義務を肯定することが、相当である。なお、処分の原因たる被処分者の行為は違法なものでもありうるが、右に述べた救援の目的からすれば、そのことが当然には協力義務を否定する理由となるものではない(当裁判所昭和四八年(オ)第四九八号組合費請求事件同五〇年一一月二八日第三小法廷判決参照)。

3  ところで、本件において原審の確定するところによれば、前記安保資金は、いわゆる安保反対闘争による処分が行われたので専ら被処分者を救援するために徴収が決定されたものであるというのであるから、右の説示に照らせば、被上告人らはこれを納付する義務を負うことが明らかであるといわなければならない。それゆえ、これを否定した原審及び第一審の判断は誤りであり、その違法をいう論旨は理由がある。

五政治意識昂揚資金について

右資金は、総選挙に際し特定の立候補者支援のためにその所属政党に寄付する資金であるが、政党や選挙による議員の活動は、各種の政治的課題の解決のために労働者の生活利益とは関係のない広範な領域にも及ぶものであるから、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかは、投票の自由と表裏をなすものとして、組合員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断ないしは感情等に基づいて自主的に決定すべき事柄である。したがつて、労働組合が組織として支持政党又はいわゆる統一候補を決定し、その選挙運動を推進すること自体は自由であるが(当裁判所昭和三八年(あ)第九七四号同四三年一二月四日大法廷判決・刑集二二巻一三号一四二五頁参照)、組合員に対してこれへの協力を強制することは許されないというべきであり、その費用の負担についても同様に解すべきことは、既に述べたところから明らかである。これと同旨の理由により本件政治意識昂揚資金について被上告人らの納付義務を否定した原審の判断は正当であつて、所論労働組合法又は民法の規定の解釈適用を誤つた違法はない。また所論違憲の主張は、その実質において原判決に右違法のあることをいうものであるか、独自の見解を前提として原判決の違憲を主張するものにすぎないから、失当であり、所論引用の判例も、事案を異にし、本件に適切でない。この点に関する論旨は、採用することができない。

六以上のとおりであるから、原判決及び第一審判決中、本件炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)及び安保資金について上告人の請求を認めなかつた部分は違法として破棄又は取消を免れず、右部分に関する上告人の請求はすべてこれを認容すべきであり、また、その余の上告は、理由がないものとして棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、八九条、九二条、九三条に従い、右炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)の請求に関する点につき裁判官天野武一、安保資金の請求に関する点につき裁判官天野武一、同高辻正己の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見が、上告理由中いわゆる「炭労資金」及び「安保資金」に関する部分につき、論旨を容れて原審及び第一審の判断を誤りとしたうえ破棄をいうことに反対し、かえつて本件上告を棄却すべきものと考える。以下、その理由を述べる。

一 原判決の確定するところによれば、本件において、上告組合は、総評の見解と同じく、炭労の企業整備反対闘争の成否が安保反対闘争及び労働運動に及ぼす影響が大きいとの見解に立ち、総評の決定にしたがつて、本件炭労資金の徴収の決議と指令をしたのであるが、この炭労資金は、「主として炭労が使用者との間で行なつている企業整備反対の争議を支援するため炭労組合員の争議中の生活補償資金や支援団体の活動費に充てる目的で徴収されたものであつて、政策転換闘争それ自体に直接必要な費用に充てる目的ではなく」、かつ その徴収は、「組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上」のために直接間接必要のものとはいえない、というのである。そしてまた、上告組合が炭労の政府に対する政策転換闘争を支援することは、国鉄志免鉱業所売山反対の争議解決に必要な行為と解することはできるが、「志免鉱業所売山の方針は、右石炭産業とは異なる産業分野に属し、しかも私企業とは異なる経営理念を有する公共企業体内部における不採算部門の切捨てであると同時に、蒸気機関車などの廃止など国鉄企業内の不要陳腐化部分の切捨てを意図するものであるから、同じくエネルギー革命を契機とするとはいえ、石炭産業の延命策ともいうべき企業合理化とは異なつた経済的動因を有し、両者はおのずから別個の解決を見ることもありうるわけであり、」一方が労働者に有利に解決したからといつて、他方についても労働者に有利な解決を直接間接にもたらすだけの関連性があるとは解し難い、というのである。そうであれば、原判決が、いわゆる炭労資金の拠出を組合の目的の範囲外のものと判断したこと、換言すれば、その拠出に私法上の義務を認めるべきではないと判断したことは、まことに正当であつて、何らの違法はない。しかも、原判決は、企業間の労働条件の連動性、人員整理の波及効果などの主張は、一般論としては首肯しうるにとどまり、「本件に関し具体的な蓋然性の存在を証するに足る証拠はない」旨を判示しているのである。しかるに、多数意見は、これに対して具体的な根拠を示すことなく、単に「炭労の闘争目的から合理的に考えるならば」として、その石炭政策転換闘争と企業整備反対闘争とは決して無関係なものではなく、企業整備反対闘争の帰すうは石炭政策転換闘争の成否にも影響するものであることがうかがわれる旨、独自の推断を施したうえ、組合員には支援資金の納付義務がある、と断定するのであるが、不当というほかない。この場合に、多数意見は、右の結論に至る前提として、「多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である。」と説く。しかし、この一般論が、本件において原審及び第一審の判断を誤りとする右の結論といかなる関連をもつのか、その判文上はなはだ明確を欠き、とうていその見解を維持するに足りないのである。

二 いわゆる安保資金につき多数意見のいうところをみると、「いわゆる安保反対闘争のような政治的活動に参加して不利益を受けた組合員に対する救援の問題」は、「同時に当該政治活動のいわば延長としての性格を有することも否定できない。」としつつ、その「救援の主眼は、組織の維持化を図るために、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因たる行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を支持、助長することを直接目的とするものではないから、右救援費用を拠出することが直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、また、その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもないというべき」であるとして、その拠出を強制することができることを結論づけているのである。しかし、果してそうであろうか。原判決の確定するところによれば、いわゆる新安保条約批准阻止が、駐留米軍輸送の減少、ひいては国鉄労働者の労働条件、経済的地位の維持改善や、上告組合の副次的目的である日本国有鉄道の乗務の改善と関連性を有することを論証するだけの訴訟資料は提出されていない、というのであつて、その見地から、原判決が次のように説示しているところを正しく理解しなければならないことになろう。すなわち、「公労法一七条、日本国有鉄道法三一条などに違反し、しかもデモなど通常表現の自由として許される範囲を超えた違法な団体行動に故意に参加したため受けた懲戒又は刑事処分によつて、組合員が失つた賃金又は昇給分、罰金を補填し、あるいはその法的救済手続や刑事訴訟に関する費用を援助すること」も上告組合の「目的の範囲内に属する行為ということはできない。けだし、組合目的と著しく離れていて、しかも違法な団体行動を故意に行なつた組合員の救済までも組合の目的の範囲内とすることは、組合の目的の概念の不明確をもたらし、一般組合員の利益を不当に侵害するものといわなければならないからである。」と、原判決はいうのである。思うに、組合がいわゆる安保反対闘争による被処分者を救済しなければならないとするのは、右の政治闘争自体を組合が支援し、実行に参加しているためなのであつて、このことと全く無関係の立場から救援の手をさしのべているのでないことは、世上きわめて明白で、とうてい否定すべくもない事実といえる。したがつて、右の救援活動のための資金の拠出決定の実質は、安保反対闘争を直接の目的とする資金の拠出決定と異なるものではなく、ともに組合員に対し、法的な拘束力を認めるに由ないものといわざるを得ないのである。とくに、多数意見においても、「一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてもその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない。」とされるのであるから、その立場からいえば、いわゆる安保反対闘争を実行するための資金と救援資金とを一括して拠出する旨の組合決定が事前に行われた場合においては、その決定全体を無効とするほかない、ということになるはずであり、この理は、安保反対闘争による処分が行われた後において専ら被処分者を救援する目的でその費用の徴収が決定された場合にも等しくあてはまることでなければならない。

三 率直にいつて、私は、ことさらにに救援資金の政治的性格を無視しようとしているらしい感触を、多数意見からうける。この点は、高辻裁判官がその反対意見で言及されるところにも関連するが、多数意見において本件救援資金の政治的性格を完全に無視し去ることができないことは、さきにも引用したように、救援費用を拠出することが「直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく」とか、「その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することにもなるものでもない」とか、さらにまた、「その拠出を強制しても、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なもの」とか、くりかえし強調するところに表明されているといえる。そこで、このようにして、本件救援資金の拠出も安保反対闘争に協力するという性格を否定できないとすれば、組合員としては、かかる政治的要求に対する賛否を問われているのであるから、多数意見の自らいうように「国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきこと」であつて、それらについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではないことになるのである。なお、多数意見は、安保資金についても、さきの炭労資金の場合におけると共通の前提として、具体的な組合活動とこれについて組合員に求められる協力の各内容その他を比較考量し、「多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和」をいう。しかし、具体的にそのことから、右の組合員の自由と権利とを法律上否定することが許されてよいことになる結び付きが、私には納得し兼ねるのである(多数意見のいうこのような利益の比較考量論に対しては、昭和四八年(オ)第四九八号組合費請求事件判決において私の意見を述べているので、その部分をここに援用しておく。)。

かくして、私は、以上の点に関する多数意見には賛成できない。原判決の判断は、結論において正当であり、本件上告は棄却されるべきである。

裁判官高辻正己の反対意見は、次のとおりである。

私は、安保資金の請求に関する点について、多数意見と見解を異にするものであつて、論旨は理由がなく、上告は棄却されるべきものと考える。以下、その理由を述べる。

いわゆる安保反対闘争のような国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を直接の対象とする組合の政治的活動(以下単に「組合の政治的活動」という。)に参加して、不利益処分を受けるに至つた組合員(以下「被処分者」という。)に対し、組合がする救援は、多数意見がいうように、組合の主要な目的の一つである組合員に対する共済活動であることを失わず、そのための救援資金を組合員において拠出することは、その限りにおいていえば、処分の原因たる組合の政治的活動に積極的に協力することになるものではない。多数意見は、このことの故に、これを拠出することが直ちに処分の原因たる組合の政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、その拠出を強制しても組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なものにすぎないから、その拠出については組合の決定に対する組合員の協力義務を肯定するのが相当であるとするのである。しかし、民主主義社会において、個人の政治的自由、特に自己の意に反して一定の政治的立場に立つことを強要されない自由が、とりわけ貴重とされるゆえんに照らしてみると、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関連する関係において救援資金の拠出の強制に法的評価を加えるについては、それが組合員に対し組合の政治的活動に積極的に協力することを強制することになる場合であると、積極的な協力を強制することにまではならないにしても、やはり組合の政治的活動を支援することを強制するにも等しいことになる場合であるとによつて、評価を異にすべきいわれはないといわなければならない。

ところで、被処分者に対する組合の救援が、組合の政治的活動の実施に基因して生じた不都合な事態に対処するためにするものであつて、多数意見も自認するように組合の政治的活動のいわば延長としての性格を有することを免れないものであり、したがつて、その救援のための資金を拠出すること組合の政治的活動を支援する一面をもち、これをする際における組合員個人の政治的自由と係わりをもつものであることは、否定し去ることができないのである。このことは、被処分者の救援費用の徴収が、あらかじめ当該政治的活動の実施と同時に決定された場合において顕著であるように見えるが、その実施による処分が行われた後に決定された場合であつても、変わりがないといわなければならない。

そうすると、組合の政治的活動による被処分者の救援について組合員の協力義務を肯定することは、ひつきよう、組合がその多数決による優位の立場において、組合員に対し、その意に反して一定の政治的立場に立つことを強要するにも等しことを容認することになるものというべく、民主主義社会においてとりわけ貴重とされる前記の自由の価値を不当に軽視するほかないのであつて、とうてい賛成することができないのである。

(江里口清雄 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 高辻正己)

上告代理人大野正男、同西田公一、同外山佳昌の上告状記載の上告理由

原判決が上告人の請求を棄却したのは、憲法の解釈を誤り、又は判決に影響を及ぼすことが明かな法令の違背があるが、その詳細は上告理由書をもつて明らかにする。

同上告理由書記載の上告理由

目次〈省略〉

第一点 原判決の国鉄労働組合の権利能力に関して示した判断は理由齟齬の違法があると共に、民法四三条、労働組合法第二条、国鉄労働組合規約第三条第四条の解釈適用を誤つた違法がある。

(一) 理由齟齬の違法

原判決は上告組合の主たる目的を「自主的に組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ること」にありとし、組合規約第三条(目的)の「民主的国家の興隆への寄与」、同第四条(業務)四号の「他団体との協力」は主たる目的の実現のための間接の目的ないし業務であるとの前提にたち、「控訴人(上告組合)は右に説示した目的を遂行するうえで、直接間接に必要な行為についてのみ行為能力ひいては権利能力を有する」(二五丁表)旨判示している。

右判示の前提部分は暫くこれをおくとして、目的遂行の上で「直接間接に必要な行為」との規準は法人の権利能力に関する判示であることからしても、当然かなりの広範囲の行為を包含する趣旨と解される(原判決の表現は、会社の権利能力についての最高裁大法廷昭和四五・六・二四判決の文言を利用したものと思われるが、同判決は極めて広く会社の目的の範囲を解している)。

ところが原判決は、右の必要性の有無の判断に当つては、一転して「目的遂行上現実に必要であるか否かの点のみを考慮すべきである」(二五丁表)としているのである。

すなわち、原判決は上告組合の権利能力の判断において、一方には組合目的に「直接間接必要な行為」といいながら、他方において「目的遂行上現実に必要」な行為のみをいうとしているのであつて、後者の範囲はその文言上からして、到底、前者と同一ではありえない。いうまでもなく、「現実に必要な行為」という以上は、その行為が組合目的に直接、かつ、実際に役立つものに限定されるのであつて、「直接間接必要な行為」とは甚しくその内包を異にする。

原判決の判示には、この二つの異つた基準が恣意的に適用されているのであつて、一般的には「直接間接必要理論」をとつているようにみえながら、その適用に当つては、「現実必要理論」をとつており、その理論は著しく矛盾している。

例えば、原判決は「炭労資金」の徴収が上告組合の権利能力の範囲外か否かの判断に当つて、まず「炭労の政府に対する政策転換斗争を支援することは、控訴人(上告組合)自体の志免鉱業所売山反対の争議解決に必要な行為と解することができる」(二七丁裏)としながら、次いで、「本件炭労資金は、主として、……炭労組合員の争議中の生活補償資金や支援団体の活動費に充てる目的で徴収されたものであつて、政策転換斗争それ自体に直接必要な費用に充てる目的ではない」(二七丁裏)と判示している。

一体右判示において、原判決が一方においてかかげる「直接間接必要理論」はどこに消え去つたのであろうか、原判決のいう通り炭労の政策転換斗争の支援が上告組合の志免炭鉱争議解決に必要な行為である以上炭労の組合員の争議中の生活費等に充てるため上告組合が費用を支出することが、どうして“間接にも”上告組合の目的と関連がないことになるのであろうか。原判決自体、実は少なくもそこに“間接的”関連を認めるからこそ、「間接」の文字を取つて「政策転換斗争それ自体に直接必要な費用」ではないとの判示をしているのである。これは明らかな論理の使いわけであり、理由の齟齬ではないか。

更に原判決の矛盾した論理の適用は次の箇所にも現われる。すなわち、原判決は志免売山は不採算部門の切捨てであり、石炭産業の企業合理化とは異つた経済的動因を有するから(この部分判断の誤りは後にふれる)、一方の問題の有利な解決は他方の問題についても労働者に有利な解決を直接間接もたらすだけの関連性があるとは解し難い旨判示している(二八丁表)。ところで原判決は、このように直接間接の関連性がないと判断した理由として「控訴代理人は、企業間の労働条件の連動性、人員整理の波乃効果などを主張するが、一般論としては誠に首肯しうるものがあるけれどども、本件に関し具体的な蓋然性の存在を証するに足る証拠がない」(二八丁裏)としているのである。

原判決の首肯する労働条件の連動性等、およそ今日の社会、経済理論が認める一般的関連性をこえて、両者間の個別的具体的な蓋然性の存在の証明を要求するのは、まさしく「直接間接必要理論」の放棄であるといわざるをえない。例えば原判決はこのような「具体的蓋然性の立証」を、会社の政治献金や祭礼への寄附などについても求めるのであろうか。

このように原判決は、権利能力の範囲を表面的には通説判例に従つて、目的実現に直接間接に必要な行為として広く認めながら、その適用、判断に当つては、「直接必要」とか「具体的な蓋然性の存在」とかの全く別の考え方に従つて行つているのであつて、二つの理由はその考え方においても、その適用においても矛盾しており、理由齟齬の違法があるといわざるをえない。

(二) 法令の解釈適用の違法並びに判例違反

原判決は上告組合の権利能力に関し、最高裁大法廷昭和四五年六月二四日判決(民集二四巻六号六二五頁)に違反し、民法四三条、労組法第二条国鉄労働組合規約第三条、第四条の解釈適用を誤つた違法がある。

原判決は、まず上告組合は「自主的に組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ること」を主目的とし、組合規約第三条、第四条掲記の「民主的国家の興隆への寄与」或いは「他団体への協力」という目的ないし事業は主たる目的を通じて計るべき間接目的であるとしている。組合の目的をこのように直接と間接と分けること自体に疑問なしとしないが、更に原判決は右の如き前提の下に、従たる目的ないし間接目的は「主たる目的の実現を通じて計られるべきもの」で、主たる目的に必要なだけの行為は権利能力の範囲外としている点は、著しく法人一般の権利能力に関する通説・判例と異り、かつ現代社会における労働組合の機能について誤つた判断をしているといわざるをえない。

(1) 法人の権利能力に関する一般理論との背馳

まず、法人の目的と権利能力についてみるに、判例は当初これを厳格に解したが、大正年代より次第に是正して今日においては極めて広く解するに至つていることは周知のところである。

比較的最近の例をひくならば、最高裁昭和二七年二月一五日判決(民集六巻二号七七頁)は、会社の権利能力について「かりに定款に記載された目的自体に包含されない行為であつても、目的遂行に必要な行為は、また、社団の目的範囲に属するものと解すべきであり、その目的遂行に必要なりや否やは、問題になつている行為が、会社定款記載の目的に現実に必要であるかどうかの基準によるべきではなくして定款の記載自体から観察して、客観的・抽象的に必要であり得べきかどうかの基準に従つて決すべきものと解すべきである」と判示している(最高裁三小昭和三〇年一一月二九日判決民集九巻一二号一八八六頁も同旨である)。

しかるに原判決は、労働組合の権利能力の範囲については「目的遂行上現実に必要であるか否かの点のみを考慮すべきである」(二五丁表)としているのである。すなわち、原判決は、前記最高裁判決が会社の権利能力の判断基準において明白に否定した考え方を殊更に労働組合の権利能力の判断に適用しこれを狭く解している。しかも、定款に相当する組合規約に明記された目的業務さえ、これを“主たる目的”の遂行に必要なものに限定して制限的に解しているのである。

そもそも判例学説が法人の権利能力を今日極めて広く解するに至つたのは、法人の社会的活動が広範囲に及んでいることと、その活動が目的業務に必要か否かについて、一々その現実的関連性を個別的具体的に判断するのでは、法人の社会的作用の制限となるから、抽象的、客観的に判断せざるをえないとの配慮によるものと思われる。

現に最高裁大法廷昭和四五年六月二四日判決(民集二四巻六号六二五頁)は、会社が行つた政治献金が権利能力に属するか否かが争われた事件について前掲最高裁昭和二七年二月一五日判決の理論を確認した上「会社は他面において自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない」とし、政治献金について「(政党の)健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである」と判示している。

法はすべて平等に適用されるべきものである。これは法が法たりうる基礎条件である。果して然らば右最高裁判決の理論は、会社のみに適用されて労働組合には適用されないのであろうか。労働組合は、「社会等の構成単位たる社会的実在」ではないのであろうか。同一連合体の他の構成員である組合の争議へ支援の資金を拠出することが、労働組合として「社会通念上期待ないし要請され」ないのであろうか、そのことが労働組合の「構成員の予測」に反するものであろうか、また労働組合の政党への政治資金の寄附は「社会的実在としての当然の行為として期待される」ものではないのであろうか。

要するに原判決の基本的考え方は、会社と労働組合に対し、その権利能力を全く不平等に扱うとの前提なしには到底許容されぬものである。

(2) 労働組合の法制と社会的機能についての誤つた判断

次に、労働組合の目的を法制と社会的作用の両面より考察してみよう。

労組法第二条は、労働組合を定義して「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又は連合体をいう」としている。そして、同条三号は「共済事業その他福利事業のみを目的とするもの」第四号に「主として政治運動又は社会運動を目的とするもの」は労組法上の労動組合ではないとしている。しかしそれは当然のことながら、労働組合が共済事業等の福利事業や、政治運動、社会運動をすることを禁じたものではなく、専らそのような事業、運動のみを行なうものは、労組法上の労働組合としては認めないというにとどまる。また労働者の経済的地位の向上と社会的・政治的地位の向上と、本来截然と二つに分けられるものではないが、同時に具体的事例において、常に必ずしも一方が向上すれば、すぐ他方が向上するというような明白な因果関係をもつとは限らない。歴史的長期的にみれば、両者はパラレルな関係にあるといいうるが、個別的、具体的現象において、両者が全く同一であるといえないことも事実である。

労働組合の主たる目的は、その経済的地位の向上にあるけれども、それ以上に主たる目的と副次的目的との間に、個別具体的因果関係を要求し、その因果関係存在の立証なき限り、労働組合の目的の範囲外と考えることは、社会の現実に反する議論であろう。

会社の行う社会的寄附にしても、一々それがどのように会社の利益に結びつくのか、その具体的因果関係の存在を要求し、かつ具体的蓋然性の挙証がない限り、その寄附は会社の目的の範囲外だという議論が非常識であるとするならば、原判決の理論はそれ以上に非常識である。

既に三井美唄労組事件の最高裁大法廷昭和四三年一二月四日判決(刑集二二巻一三号一、四二五頁)は労働組合の政治活動の必要性について次のように判示している。

「労働組合の結成を憲法および労働組合法で保障しているのは、社会的経済的弱者である個々の労働者をして、その強者である使用者との交渉において対等の立場に立たせることにより、労働者の地位を向上させることを目的とするものであることは、さきに説示したとおりである。しかし、現実の政治・経済・社会機構のもとにおいて、労働者がその経済的地位の向上をはるかにあつては、単に対使用者との交渉においてのみこれを求めても、十分にはその目的を達成することができず、労働組合が右の目的をより十分に達成するための手段として、その目的達成に必要な政治活動や社会活動を行なうことを妨げられるものではない」として、地方議会議員の選挙に当つて、組合の利益代表者を議会に送り込むため選挙活動をしたり、統一候補を決定し組合を挙げてその選挙を推進することを組合活動として容認している。

法人たる労働組合の権利能力の存否すなわち目的の範囲を確定するためには、八幡製鉄政治献金事件の最高裁判決が示した一般理論によつて、組合規約に基づき、行為の客観的性質に即し、抽象的に判断されなければならない。そしてこの際社会通念による判断が必要とされるが、それは本来一般的、抽象的なものであるから、例えば労働組合と政治活動との関連性については、前示三井美唄労組事件に関する最高裁判決の説示するところによつて充分である。

然るに原判決は、上叙のように社会通念ないし、一般的関連性をもつて足れりとせず、更に個々の行為が、果して現実に組合員の経済的地位の向上に役立つかどうか、更には具体的蓋然性の存在まで求めているのであつて、このような見解は明らかに冒頭掲記の最高裁判決の法人の権利能力に関する一般理論に反し、労働組合を不利益に差別的に取扱つているといわざるをえない。

(3) 労働組合の自主性に対する介入

そしてこのような原判決の理論は、必要以上に労働組合の自主的な判断・決定の内容に介入し、その自主性を侵害する結果を招来しているのである。

労働組合の目的遂行のため必要であるかどうかを判断する上には、労働組合の性格から由来する決定の自主性を充分考慮しなければならない。

労働組合は、労組法二条の規定をまつまでもなく、自主性がその存立基盤である。そのために、労組法五条二項は民主的手続について特に規定を設けている。またわが国が批准しているILO八七号条約第三条は「労働者団体及び使用者団体は、その規約及び規則を作成し、完全な自由の下にその代表者を選び、その管理及び活動を定め、並びにその計画を立案する権利を有する」と規定している。

ある選挙などの政治活動や、他の労働組合への支援などが、どのように当該労働組合に関連をもち、かつそれが必要なことかは、本来その組合が民主的手続の下に自主的に決定すべきことである。社会的政治的現象は多く、みかたによつて判断が異るであろう。ある人にとつては、安保条約の帰趨は、労働組合と無関係とみえるかもしれないが、他の人々にとつては極めて重要な意味をもつと考えられる。また炭労と国労とは別と考える人もいるかもしれないが、労働者に及ぼす影響の一般性を強く感じている人々は、そこに重要な関連性を見出す。社会現象、政治現象の影響度や因果関係の判断はその人の価値感によつて様々に分れうるものである。

このような場合、それが一見明白に不合理なものでない限り、法の定める民主的手続によつて決定されれば、当該組合の決定は尊重されなければならない。裁判所が、多元的に存在する価値観から一定の価値観を選定し、それに基いて労働組合が自主的に行なつた内部的な判断の内容に介入し、その当否の判定をすることは原則として避けるべきである。さもない限り必ずや裁判所はその中立的立場に対し疑問を抱かれるに至るであろう。三池争議と上告組合との関連、安保改定反対運動と上告組合との関連などは正しくこのような問題に属する。原判決のこれらについての判断は、その当否を具体的に論ずる以前にいささか裁判所として守るべき限界を逸しているのではあるまいか。

八幡製鉄政治献金に関する大法廷判決中の松田、大隅裁判官らの意見によるとしても、社会通念上相当とされる判断の資料としては、「会社の規模、資産状態、社会的経済的地位、寄附の相手方など」の客観的条件があげられている。裁判所が何らかの実質的判断をするとしても、このような客観的条件の限度にとどまるべきである。ところで、これを本件に引き当てて考えるとすれば、最も重要なのは臨時組合費の額であろう。もしそれが通常の組合費に比して著しく高額なときは、“従たる目的”の実現といえないような場合が或いは生ずるかもしれない。

このような観点からみるとしても、本件で問題となつた炭労資金は組合員一人につき昭和三五年一二月より翌三五年九月までの一一ケ月間に四回にわたり、最初の三回は各一〇〇円、最後の一回が五〇円で合計三五〇円である。そして安保資金は一回限で五〇円、政治昂揚資金は一回限りで二〇円である。当時の上告組合の経常的な一般組合費が一人当り月額平均八九〇円、年額一〇、六八〇円であることと対照すれば、右臨時組合費は、月額としてみても、年額としてみても絶対的かつ相対的に低い額である。かつ上告組合とほぼ同じ規模をもつ日教組、全逓、全電通などの組合もほぼ同一の臨時組合費を徴収しているのであつて、まさしく社会通念上相当の範囲を出ないものである。

以上何れの観点よりするも原判決が二四丁表から二五丁裏にかけた示して労働組合の権利能力に関する判断の一般基準は誤りであるといわざるをえない。

以下、このような見解の下に原判決の論旨に従い、「炭労資金」「安保資金」「政治意識昂揚資金」について、原判決の誤りを指摘することとする。

第二点 原判決が「炭労資金」について示した判断は、社会通念及び経験則についての判断を誤り、かつ国鉄労働組合規約第三条第四条の解釈適用を誤つた違法がある。

原判決が二六丁表一行目より二七丁裏一行目までの記載によつて確定した事実によれば、上告組合が構成員として加盟している総評は三井三池炭鉱の争議が日本の労働運動に多大の影響を与える結果となるとの見解の下に炭労の企業整備反対斗争を支援すべく、その援助の必要資金にあてるため総評加盟組合が所属組合員から炭労支援カンパを臨時徴収し総評に納付することを決議した。一方上告組合においても、国鉄志免鉱業所民間払下げに反対し、炭労と同様政策転換斗争を行なうと共に、総評と同じく炭労の企業整備反対斗争の成否が労働運動に及ぼす影響が大きいとの見解の下に、総評の決定に従つて「炭労資金」徴収の決議と指令をした。以上が原判決の確定した事実の要旨である。

ところで国鉄労働組合規約第四条は、「組合は次の業務を行なう」として事業を列記しているが、その第四号は「他団体との協力に関すること」と明記している。また同規約第一六条は、大会の決議事項を定めているが、「団体への加入または脱退」がその中に含まれている。単位労働組合が連合体をつくり、上部団体に加入することは、その本質的権利に属し(ILO八七号条約第五条もその自由を保障している)そこでの決定を尊重実施することは、単位組合の重要な権利義務なのである。

そして、右上部団体である総評の規約第二条は、その目的の一として「加盟組合の争議を成功に導くための有効な援助」を規定している。総評はこの目的に従つて、加盟組合である炭労の争議支援のため他の加盟組合が資金的援助をすることを決したのである。

およそ同一連合体の加盟組合が相互に援助することは、歴史的社会的にみて当然のことであり、法的にみてもむしろ連合体結成の目的であるから、加盟単一組合がその決定に従うことは「盲従」どころか、その本質的な権利義務である。上告組合が、自主的な意思決定によつて加盟した連合体の合法的な決定に従つて行つた行為は、この一点においてすでに上告組合の目的の範囲内の行為というべきである。

もし、原判決の如き理論によるとすれば、連合体は存続することができない。

原判決は、加盟組合の目的遂行に現実或いは直接必要な費用以外は、その目的の範囲外であるとの前提の下に連合体の組織と加盟組合の権利義務との関係を捨象して炭労の争議と上告組合の目的・業務との関連性を云々しているのであつて、既にこの点において誤つている。

しかも原判決は、「控訴人(上告組合)が炭労の政府に対する政策転換斗争を支援することは、控訴人(上告組合)自体の志免鉱業所売山反対の争議に必要な行為と解することはできる」(二七丁裏)としつつ「『炭労資金』」は主として、炭労が使用者との間で行なつている企業整備反対の争議を支援するため炭労組合員の争議中の生活補償金や支援団体の活動費に充てる目的で徴収されたもので、政策転換斗争それ自体に直接必要な費用に充てる目的ではなく、仮に右目的を有する部分があつたとしてもそれは極く僅かであつたものと解するのを相当とする」二七丁裏)と判示している。

これはいかにも奇妙な理由づけではあるまいか。炭労の行つている政策転換斗争と炭鉱の不況に伴う合理化による人員整理反対斗争が全く別のものであると考える根拠はどこにあるのだろうか。炭鉱合理化とは炭鉱の全部又は一部の閉山による大量解雇であり、炭労はこのような形で解雇或いは労働条件の引下げが行なわれることに反対しているのであつて、そのことが政府には政策転換の要求として、使用者には解雇等の反対として現われているにすぎない。両名は全く同一の事柄を意味している。ただ向けられた方向が異るにすぎないのである。

しかも、現に行なわれている争議中の生活補償などの支援がなければ、争議は敗北するであろうし、かくては炭鉱労働者は解雇され、組織は壊滅して到底政策転換斗争どころではないのである。政策転換斗争なるものは、現に行われている争議を基盤とし、その上に成り立つているのであるから、原判決のように政策転換斗争は必要な行為だが、争議援助は必要な行為でないというのは、社会通念ないし経験則に著しく反する判断といわなければならない。

更に原判決は、国鉄志免鉱業所の売山は、公共企業体内部における不採算部門の切捨てであり、「同じくエネルギー革命を契機とするとは言え、石炭産業の延命策ともいうべき企業合理化とは異つた経済的動因を有し、両者はおのづから別個の解決を見ることも充分あり得る訳」である(二八丁表)として、両者には直接間接の関連性がないと旨判示している。

この判示部分も不可解である。国鉄志免鉱業所の売山は、まさしく国鉄直営の鉱山部門が採算がとれないことを理由にしているのであり、それは石炭の需要の減少とそのコスト高が原因であるといわれている。この点においては、石炭発掘を主業務とする炭鉱経営の場合と全く変らない。そして石炭需要の減少、そのコスト高というのは、同一の経済的社会的原因から生じているのであつて、「異つた経済的動因」によるものではない。

しかも"企業合理化"というのは、原判決の摘示によると「石炭産業においては炭鉱閉山と労働者の大量解雇を中心とする大規模な合理化」(二六丁表)であり、志免売山では「職員が国鉄職員の身分を失いその労働条件の維持改善その他経済的地位の向上が困難になる」(二七丁表)というのであつて、労働者に及ぼす影響は共通である。原判決も「企業間の労働条件の連動性、人員整理の波及効果」が存在することは「一般論としては誠に首肯し得る」(二八丁裏)というのである。

果して然らば、それ以上にいかなる共通性、関連性を必要とするのであろうか。

賃金その他の労働条件は、決して一企業内部だけで決定されるものでなく、社会の一般的水準によつて決定される。もとより一企業の個別的な特色によつて若干の差異が生ずることはあつても、一番大きな決定要因は、社会的水準の変動である。このことはもはや常識といつて差支えないが、もつとも分り易い例を敢えてとるならば、ここ十数年来、私企業たると官公庁たるとを問わず、その職員の基本賃金は毎年改訂されるのが通例となつているが、これはいわゆる"春斗相場"によつて決定されている。すなわち春斗によつて主たる産業における確定することによつて、その例にならつて他の一般産業或いは官公庁の賃金も改訂されているのが実情である。労働時間、週休二日制などもその例外ではない。

このように、「企業間の労働条件の連動性、人員整理の波及効果」など主たる要因となつて、賃金その他の労働条件が決定されるものである以上、その主要因とは別の「個別的・具体的」原因を問題とし、その具体的・個別的原因との関連性のみを基準として、労働組合目的の範囲を決定するというのは、余りに社会通念と経験則に反した判断ではなかろうか。

原判決が右の如き見解の下に「本件『炭労資金』が控訴人(上告組合)の目的実現に直接間接に必要であるとは解し難い」(二八丁裏―二九丁表)とした判断は、社会通念と経験則に反し、国鉄労働組合第三条、第四条の解釈適用を誤つた違法があるというべきである。

第三点 原判決が「安保資金」について示した判断は、判例および条理に違反し、かつ憲法二八条、労組法一条、二条、国鉄労組規約第三条、第四条の解釈適用を誤つたものである。

(一) 原判決の判示と国鉄労働組合規約第四条について

原判決は「安保資金について、

「総評は、昭和三五年初頭以降、全国で展開された新安保条約批准反対斗争で重要な一環をにない、控訴人国鉄労組はじめ加盟各単産に多数の刑事、民事上の被処分者を出した。そこで総評は、同年六月の第一四回臨時大会で、安保斗争の犠牲者救援のため加盟組合の組合員一人当り金五〇円を徴収することを決議した」

こと

「国鉄労組においても、安保条約は、戦争の原因となり、国民、労働者の生存すら危険にさらすのみか、国鉄労働者としては、これに基づき、労働災害を伴い易い駐留軍の軍用資材輸送が増強され、一般輸送が抑圧されて国鉄企業経営が圧迫されることにより、組合員の労働条件の悪化や経済的地位の低下をもたらすとの理由から、これに反対することを決定し」

たこと、

「国鉄労組が、安保条約批准阻止の唯一の最後の手段として、岸内閣の退陣と国会解散を求めて、三回にわたり時限ストなどの斗争を行い、国鉄労組員らが労公法一一七条による解雇のほか、日本国有鉄道法による免職、停職、減給の懲戒処分をうけ、また起訴された」

こと、

「国鉄労組は、これらの被処分者がその結果として失つた賃金、減給分、昇給延伸の昇給差額分、起訴による休職中の給与の減少分の補償、解雇や懲戒処分に対する法的救済手続や刑事裁判の費用などに約五億円を要することになつたが国鉄労組は総評加盟組合のなかでも特に多くの被処分者を出したため、総評の決議どおり組合員一人当り金五〇円の割合による金員を総評に提出しても、それ以上の犠牲者救援資金を受けられる関係にあつた」

こと等を前提とし、右総評の決議に従い、国鉄労組が一人当り金五〇円あてを臨時組合費として徴収したことについて、国鉄労組の新安保条約批准阻止のストライキなどの行為は、「国鉄労働者にとつても、国鉄労働者の立場を超えた国民個々の立場からなされた政治活動につきるもの」であつて、組合の目的達成のため必要な政治活動とはいえず、組合目的の範囲内の行為とは到底言えないとした上、

「組合目的と著しく離れていて、しかもデモ等の表現の自由として許される範囲を超えた違法な団体行動を故意に行なつた組合員の救援までも組合の目的の範囲内とすることは、組合の目的の概念の不明確をもたらし、一般組合員の利益を不当に侵害する」

とした上、

「国鉄労組の業務として他団体との協力が組合規約中に定められているとしても、国鉄労組の目的実現のためのそれに限られるのである」

として、本件「安保資金」の徴収決議は、

「国鉄労組の目的の範囲を超えるものとして無効である」

とするものである。

原判決の右の判断のうち、「他団体との協力」すなわち、本件「安保資金」が総評の決議にもとづくものである点については、組合規約第四条に関し、前述第一点、第二点に詳述したとおりであるのでこれを引用することとし、以下さらに原判決の判断の誤りについて分説する。

(二) 犠牲者の救済

もともと労働組合は労働者連帯の原理にもとづき、その団結活動を通じて労働者の地位の向上を目的とするものであるから、営利を目的とする株式会社などの場合と異り、その所属組合員の生活困窮に対してはその原因のいかんにかかわらず、連帯の原理と直結する相互扶助の観念にもとづき、所応の経済的救済を行なうことは当然であつて、もとより目的の範囲内である。国鉄労組規約第四条においても、労働条件の維持改善に関することないし前述の他団体との協力に関すること等のほか、所属組合員の福祉、厚生に関することをも定めているのも右の理にもとずく。

しかるに原判決は新安保条約批准反対斗争における犠牲者の救済については、それが組合の目的外の違法行為を故意に行なつた者の救済であるということを理由として、これに対する経済的救援を否定するのであるが、いやしくも救済の対象が組合員である以上、これに対する救済の可決はもつぱら組合の自主的決定にゆだねられるべきであつて、具体的な救済方法がとくに違法のものでない限り、組合員の救済そのものに関する一般的な行為能力を否定すべき理由はない。

原判決は当該組合員の行為の性質を問題にするようであるが、救済の本質が団結そのものと表裏一体をなす相互扶助である以上、救済の可否はこの観点からのみ判断されるべきであり、ここにおける法理は自主的団結の維持、強化の原理があるのみであつて、当該組合員の行為の法的評価の問題とは、自ら別の次元の問題である。

このように見ると、本件における犠牲者救済の本旨は、組合の指令の遂行に関し、当該組合員が蒙つた民事上の懲戒処分や刑事上の起訴の結果生じた経済上の不利益を補填することにより、当該組合員の生活上の困窮を救済することにあるのであるから、かくの如きは上述の団結保持の観点からすれば、むしろ最優先に救済されこそすれ、当該組合員の行為の性格の故に、組合からその救済を否定される理由はない。

本件の救済の対象者は、いずれも組合の指令に従つてストライキ等に参加した組合員であり、右に関連して各種の不利益処分をうけ、その結果生活上の困窮を来したものであるから、これらの被処分者の困窮に対する救済は、これを団体の内部関係としてみれば、むしろ指令者たる組合として当然なすべき義務である。組合の現在および将来の団結にとついては、右はまさに団結保持の根幹であつて、万難を排してもなすべき最優先の義務である。もし組合が慢然これを放置するのであれば、当該組合員の基礎的信頼を裏切るのみならず、社会的にみてもむしろ世の非難を蒙るに価するところと言うべきであろう。かくの如き経済的救済は、社団一般法理に言う「事業の円滑遂行のため必要な行為」との観点からみても、組合の目的の範囲内として当然なしうるところと言わなければならない。もしそうでなければ、労働者の団結の尊重を法原理として認める憲法二八条下のわが全法制が、団結維持のための最少限のモラルの履行について、法律上その不可能を強いる結果となり、団結の保障は空文に帰するものといわなければならない。

とくに、労働組合をなす団体行動は、後述のとおり必ずしも直接労働条件に関するもののみでなく、とりわけ政治的団体行動については、事の性質上その行動の程度、内容は、多種多様であつて、政治的諸状勢の進展に応じて変化する。従つて、その過程において特定の行動が他の法令に違反し、違法の評価をうけることがあつたとしても、その違反の効果は当該法令において定めるところであり、そのことの故を以つて一連の政治的行動のすべてが直ちに違法となるものではない。とくに法律上の制裁をうけたあとでの事後的救済については、わが国法上これが禁止される理由は何所にもない。もし然らずとすればまさに人権尊重の憲法原理に著しく背馳し、被処分者に対し二重処罰を科する結果にもなる。

後述のとおり、最高裁判所は営利を目的とする株式会社について、特定政党に対する政治献金をも社会的に有用な行為として承認した(昭和四五年六月二四日大法廷判決)ところであるが、団体外のかかる政治的出損がなお団体の行為能力の範囲内であるとすれば、本件のように構成員の団結と統一を本義とする労働組合において、指令服従者に対する団体内部の相互扶助救済までが何故にその行為能力を否定されるのか、右はまさに救済の主体が労働組合であることのみを理由として、適式な決議決定をも強いて無効とし、組合員に対する事後的救済を禁止するものである。かくの如きは到底整序ある法解釈とは言いがたく、最早や条理に反するものと言うべきである。

(三) 労働組合の目的と政治行動

憲法二八条は勤労者の団結権および団体行動権を保障し、これをうけて労組法はじめ労働法制が制定されるところであるが、このような労働基本権の法制上の承認が、経済、社会における労働者の立場の歴史的実態に着目し、これを強化、向上させるための趣旨に出るものであることについては凡そ異論のないところであろう。憲法二八条は、その保障する団結および団体行動の内容について、法文上これを包括的に規定し、特段の限定をなさないところであるが、右の趣旨から考えれば、団結権および団体行動権に関する憲法上の保障を実現するためには、現代社会における社会的存在としての労働組合の実態に着目し、右の保障が実質的に生かされるよう、ことさらな限定解釈は慎しむべきであることは言うまでもない。

一般に憲法二八条の団結権、団体行動権は、憲法二五条の示す生存権基本権であるとされるところであるが同条の示す近代社会における人たるに価する生活の実現のためには、政治・経済・社会・文化の各方面にわたり、生活の向上が不可欠であることは多言を要しない。また現代社会の機構を素直にみるならば、これら人間生活に必要な各要素は、互に密接に関係し、その一部面における生活向上は互に他の部面に波及し相関相補の関係に立つことも疑のないところである。

とくに現代社会における政治と経済との密接な関係を考えるならば、労働者の経済的地位の向上のためには相応の政治的地位の向上が不可欠であり、両者が切離せない関係に立つことも言うまでもない。

このような理由から、わが国および世界の労働組合は、夫々立場、方針のちがいこそあれ、こぞつて相応の政治的行動を行ない、社会の進歩と労働者の生活の向上のための責任ある実在として、既に社会の重要な一翼を担つているのであつて、このことは最早現代において否定しがたい社会的事実である。

上掲の昭和四三年一二月四日の最高裁大法廷判決は労働者の労働条件の維持、改善が、憲法二五条に適合し、勤労者の真に人たるにふさわしい健康で文化的な生活の向上に直結するばかりでなく、これがひいては国の産業の興隆発展に寄与するゆえんであるとし、労働組合の政治的行動を憲法二八条の団体行動として承認したものであるが、右の判決は、まさに上記のような社会的ないし歴史的な現実を直視するものというべきである。

本件における新安保条約批准阻止斗争は、前掲の原判示の示すところによれば、国鉄労組の反対運動の理由は「安保条約が唯単に国民としての労働者の生存を危険にするばかりでなく、同条による駐留軍輸送により、国鉄労働者の労働条件や経済的地位の低下をもたらす」との点にあるのであるから、右の斗争目的は、明らかに新安保条約と国鉄労働者の労働条件との関連性を理由とするものである。原判決は駐留軍輸送は旧安保条約により既に発生しているとの理由から右の斗争目的上の関連を否定するのであるが、かくの如きは新安保条約に関する国鉄労組の見解の当否の判断にすぎないものであるばかりでなく、そもそも新安保条約が旧条約第一条における駐留軍輸送を廃止しないものであることは疑いないのであるから、斗争目的上の関連性に関する右の判断は失当である。

のみならず、新安保条約のように、国の命運に関する重大な事項は、その如何が国鉄労働者の経済的地位に重大な影響をもたらすものであることは疑なく、このように直接にも間接にも労働条件ないし経済的地位に重大な関係をもつ事項について、自ら自主的に決定した見解に従い、所応の行動を展開することは、労働組合として当然のところであり、上掲の観点に照しても、もとより憲法二八条の保障する団体行動の範囲に属する。

しかるに原判決は、上掲のとおり表現の自由の範囲を超えた団体行動は違法であるとした上、かかる行動に参加した組合員を救済することは労働組合の行為能力を超えるものであるとするのであるが、右の判示は二重に誤まりである。第一に原判決は表現の自由以外の政治的団体行動はすべて違法であるかの如く解しているがこれは誤りである。言うまでもなく、表現の自由は国民誰しもが自由であり、必ずしも憲法二八条の保障を必要とするものではない。表現の自由と団結権、団体行動権の保障とが具体的行動において相補併存する場合のみならず、安保斗争の過程において生じた犠牲者の生活上の救済が仮りに個人の自由の直接の顕現ではないとしても、しかしかかる行為がそれ自身一定の政治的目的にもとずく労働組合の団体行動であることは疑ない。上述の昭和四三年の最高裁大法廷判決は、必ずしも個々の組合員の表現の自由をさまたげない労働組合の選挙活動について憲法二八条にもとづきこれを政治的団体行動として認めており、原判決の判断は右の判例にも反する。

第二に、原判決は政治的団体行動を行なつた組合員の生活を救済することは、直ちに労働組合の団体行動の範囲を超えるとするのであるが、組合員の生活の救済は、まさに団結維持のための団体行動であり、またそのこと自体他の法令に牴触するところはない。従つて組合員の救済が政治的動機に出るものであつたとしても、そのことは、とりもなおさず組合の政治的団体行動の一環として、上述のとおり憲法二八条の保障の下に別に評価されなければならない。原判決は労働組合の行動目的につき、政治的目的を極端に嫌悪し、労働条件や経済的地位の向上と直接関係するもの以外はすべて否定するかのようであるが、上掲判例の趣旨に照しても右は明らかに誤りであり、わが憲法の生存権保障の現代的意味と労働組合の歴史的機能とを無視するものである。

(四) 救済の方法ないし効果について。

原判決は、安保斗争の犠牲者の救済は組合の目的の概念の不明確さをもたらし、一般組合員の利益を不当に侵害するとの理由で、本件の「安保資金」の徴収は組合の目的の範囲外だとする。

しかしながら、国鉄労組規約第三条・第四条は、上掲のとおり唯単に経済的地位の向上のみならず、規約第三条に「組合員の生活と地位の向上」および「日本国有鉄道の業務の改善と民主的国家の興隆への寄与」を明定した上、規約第四条は、「労働条件の維持・改善に関すること」のほか「福祉・厚生に関すること」をも定めており、組合員の生活と地位の向上に直接間接関連する新安保条約につき所応の団体行動を行ない、かつその犠牲者の生活に対し相互扶助の原理にもとづく援助を行なうことが、少なくともこれらの明文の規定の範囲に属することは明らかである。従つてこれらの規定を承知して加入した組合員らに対し、適式な手続を経て決定した援援資金の徴収を行なうことが、「一般組合員の利益を不当に侵害する」との原判決の右判示は到底承服し難い。

のみならず本件「安保資金」の金額は僅か一人当り五〇円であり、平均組合費の約五パーセントにすぎない一回限りの臨時組合費であつて、しかも現実には上掲原判示のとおり、国鉄労組としては右割合による総計金額以上の金員を総評から受けられる関係にあり、金額的にみてもこの程度の組合費の徴収による犠牲者の生活救済が、その程度・方法からみても、一般組合員の利益を不当に侵害するとは到底言い難い。

また原判決は、「組合の目的の概念を不明確にする」とするのであるが、株式会社の行為能力に関する判例の沿革に示されるように、規約上規定のない事項につき、社団法理にもとづき、法人の事業の円滑遂行のためその行為能力を拡張する場合ならいざ知らず、適式に承認された明文の規約が存するのに、かかる判断は不必要かつ不適切である。

原判決は、かかる判断の理由として組合目的から著しく離れた違法な行動を故意に行なつた者の救済は、組合の目的の範囲外であるとする。

しかし、右の判断は労働組合の団体行動権の範囲に関し、政治的目的にもとづくストライキの適否の問題と、そのため民事刑事の不利益処分を蒙つた組合員の生活救済とを混同するものであつて、両者は自らその判断基準を異にするものである点は前述のとおりである。

しかして被処分者の救済の具体内容としては、原判決摘示のとおり、各処分による経済上の不利益の填補・刑事・民事の訴訟費用の援助等であるが、その補填・援助の程度・内容は組合がその財政規模に応じ適宜、自主的に決定するところである。

しかも右に言う救済とはもとより違法な手段によるものではなく、組合員を不当な懲戒処分や刑事訴追から救済するため、法廷において争うことを主眼としこれを不当処分をうけた組合員自身の立場から見るならば、まさに憲法第三二条の保障する基本的人権に属する。

既に、最高裁千代田丸事件判決(民集22、13・P3050の2)は、公労法違反の争議行為に対する同法第一八条の適用について、「職員に対する不利益処分は、必要な限度を越えない合理的範囲にとどめなければならない」と判示して、被解雇者を救済しており、仮りに違法な争議行為が行なわれた場合においてすら、直ちにすべての処分が正当とは目されないことを明示している。

刑事事件についてみると、原判決の摘示のとおり、二四名の組合員が刑事起訴をうけているが、これらは何れも現実に本件資金による救済をうけ、その結果九名の組合員はその軽微な情状を認められ、罰金刑の判決が確定している。

安保六・四新前橋六・一五宇都宮

併合事件

前地裁昭37.5.14・東高

昭39.4.1、

仙台安保六・四事件

仙高昭41.3.29、

なお本件安保斗争のほか、同じく政治的目的をもつ国鉄労組のストライキ事件として起訴された刑事事件につき、無罪ないし罰金の言渡をうけた次の裁判例がある。これらは何れも政治的ストライキの合法性ないしその可能性を認めたものである。

無罪事件

大阪日韓斗争事件

大地昭47.4.11労旬810号

罰金事件

苫小牧日韓斗争事件

札幡地室蘭支判昭45.10.7・1

同高裁昭46.10.9 労経速774号、高裁で罰金五万円

言うまでもなく、民・刑を問わず、労働事件の裁判は通常長期、大規模のものが多く、これを支援し、所期の効果をあげるについての関連諸経費も極めて大きい。若しこれら裁判費用の援助も許されないとすれば結局法廷における正義の顕現も事実上さまたげられ、これらの事件の救済は事実上不可能である。

因みに、右のほか国鉄労働者の団体行動につき、多くの救済判例の事例を摘記する。

無罪事件(国労)

本社前事件

東高昭43.1.26

新潟東三条踏切事件

東高昭38.12.11

田町電車区事件

東地昭40.3.8、下刑7・3・P.334

小牛田事件

仙高昭41.3.17、下刑8・3・P.377

福山ビラ事件

福簡昭42.9.18、下刑9・9・P.1178

3・31久留米事件

福岡昭43.3.26、下刑10・3・P.232

3・31糸崎事件

広地尾支昭43.6.10、判時529P.232・判タ225P.172

3・31松山事件

高高昭46.3.26

3・31尼崎事件

神地昭41.4.12

4・26東和歌山事件

和地昭46.4.26

徴戒処分無効(公労法第一八条解雇を含む)

東神奈川免職事件

東地昭41.8.30

青函渡島丸事件

札地昭44.1.17

東京小金井電車区事件(動労)

東地昭46.8.31、別労旬

札幌入園闘争事件(動労)

札地昭46.4.27、判時634P.18

仙台運転所事件(動労)

仙地昭46.11.26、別労旬

原審の判断は結局犠牲者の法的救済の途をとざし若しくは極めてて困難に至らしめるものとして、著しく正義に反するものと言うべきである。

以上いづれの面からみても、「安保資金」に関する原判決の判断は理由がない。

第四点 原判決が「政治意識昂揚資金」について示した判断は判例および条理に違反し、憲法一九条、二一条、二八条、労組法二条、民法九〇条の解釈適用を誤まつたものである。

(一) 原判決の判示と労働組合の政治行動について。

原判決は「政治意識昂揚資金」(以下「政昂資金」と略称する)について、

「昭和三五年一一月の総選挙において、国鉄労組は同組合出身の立候補者一二名の支持を決定したが、その選挙資金にあてるため、右立候補者の所属政党(主として日本社会党)に対し、その人数に応じて、国鉄労働組合政治連盟を通じて寄付をした。国鉄労組は右寄付のための資金を調達するため、本件の政昂資金の徴収の決議と指令をした」

こと、および

「被控訴人らは、国鉄労組の運動方針に対し、支持政党を異にし、かつ労働組合運動と政治に対する思想上の相違があるから、右指令に従わなかつた」

ことを前提とし、

「組合員において支持政党を異にするなどこれに応じられない政治思想上の理由があるのに、労働組合が特定候補者のための選挙資金の拠出を強制することは、民主主義の基本原理である国民の政治的信条の自由(憲法一九条・二一条)に対する障害として許されず、無効である」

と判示する。

労働組合の政治行動については前述第一点および第三点の(三)に詳述したとおりであるのでこれを援用する。

前掲の最高裁昭和四三年一二月四日大法廷判決は、

「労働組合の結成を憲法および労働組合法で保障しているのは、社会的・経済的弱者である個々の労働者をして、その強者である使用者との交渉において対等の立場に立せることにより、労働者の地位を向上させることを目的としたものであることは、さきに説示したとおりである。しかし現実の政治・経済・社会機構のもとにおいて、労働者がその経済的地位の向上をはかるにあたつては、単に対使用者との関係においてのみこれを求めても、十分にはその目的を達成させることができず、労働組合が右の目的をより十分に達するための手段として、その目的達成に必要な政治的活動や社会的行動を行なうことを妨げられるものではない」

と判示し、労働組合の政治的行動が憲法二八条に由来し、許容されるべき団体行動であることを明示する。

右判決はさらに、

「この見地からいつて、本件のような地方議会議員の選挙にあたり、労働組合が、その組合員の居住地域の生活環境の改善その他生活向上を図るうえに役立たしめるため、その利益代表を議会に送りこむための選挙活動をすること、そしてその一方策として、いわゆる統一候補を決定し、組合をあげてその選挙運動を推進することは、組合の活動として許されないわけではなく」

と判示し、選挙におけるいわゆる統一候補の決定と、右にもとづく選挙運動の推進とが、上述の団体行動の一形態として法律上の意味をもつことを承認する。

しかして右事件の控訴審判決(昭38.3.26・札幌高裁)によれば、右組合の上記決議の理由として、三井美唄炭鉱労働組合が炭鉱労働者の福祉増進のため、市政に大きな関心をもち多数の議員を選出するため、従来から組合員の中から立候補する者の数を制限し、これをいわゆる統一候補として推進するにあたり、上記の方法により立候補の乱立を防ぎ、その実効を収めていたところから上記の方法がとられたとされる。本件における国鉄労組の立候補組合員一二名の支持決定もこれと全く同じ理由・経過にもとづくものであつて、上記判例の事実と同種の事情と目的にもとづく立候補者支持決議であるということができる。従つて、本件の組合決定は、まさに前記大法廷判断に適合し、国鉄労組の組合目的の範囲内の事項と解すべきことは明らかである。

(二) 労働組合の行う政党への寄付と組合員の思想信条の自由。

前掲三井美唄事件の大法廷判決は、上記のとおり労働組合の選挙活動を認めるものであるから、右運動に要する資金の支出が、組合の正当な事業費用の支出として、法律上認めるべきことは言うまでもない。してみると、組合員たる候補者の当選のための上記活動の範囲内のものである限り、そのための合理的な資金の支出は政党に対する寄付の場合においても、関係法令の制限内において当然認められるものと言うべきである。

しかるに、原判決は、本件におけるかかる目的のための寄付の徴収が、支持政党を異にする組合員に対する関係では、その政治的思想信条の自由を侵すというのであるが、上記の大法廷判決が示すとおり、組合の選挙活動はそれ自体団体行動として正当な法律上の価値を有するものであるから、これと組合員の思想信条の自由との関係は、事案に則し具体的に彼此衡量されるべきものである。右大法廷判決の事案は、直接公職の立候補者に対しその立候補をとりやめさせることが労働組合の統制権の作用としてどの程度までなしうるかとの点の判断をなしたものであつて、本件の事案に比べ、はるかに重大な権利牴触の事案である。

しかしこの場合においてても、右判決はかかる際の権利調制の基本原理として、「組合の団結を維持するための統制権の行使に基づく制約であつても、その必要性と立候補の自由の重要性とを比較衡量して、その許容を決すべきであり、」と判示し、形式的判断を戒めるところである。

ところが、本件における国鉄労組の政治活動の必要性についてみると、組合規約第三条の規定する国鉄業務の改善ないし民主的国家の興隆のためには、国鉄業務の実情のおよび国鉄労働者の生活条件を熟知し、これにふさわしい識見を有する組合出身の議員を国会に送り、その活動を通じて国鉄労組の運動方針の実現に利することが必要であることは言うまでもない。

それのみならず、国鉄の業務運営においては、日本国有鉄道法所定の財政上の制約(同法三九条・四〇条・四二条等)があり、予算、決算、借入金等いづれも国会の議決を要し、また職員の労働条件の核心たる賃金決定についても、公労法一六条、三五条の規定により予算上、支出不可能な協定・裁定については国会の承認を要することとなつており、このような制度上の制約からみても、国会議員の選挙活動が、国鉄労組にとつてその組合員の労働条件の向上のため甚だ重要な意味をもつことは明らかである。

これを被上告人たる組合員らの政治的思想信条の観点からみると、本件政昂資金の徴収決定の行われた国鉄労組第五五回中央委員会においては、徴収決定は満場一致で行なわれ(原審大野旭証言)、被上告人らの支持する民社党グループを代表する中央委員らもすべてこの決議に賛成した。

また政昂資金は組合出身の立候補者のため配付されるのであるから、社会党、民社党、共産党等、当該候補者の政党所属のいかんを問わず配付される(原審大野旭、石川俊彦証言)。のみならず、本件臨時政昂資金の金額は一人当り僅か二〇円であり、平均月額組合費の三パーセントにも足らない小額にすぎなない。

また右資金の徴収拒否の状況からみると、本件組合の請求趣旨に明らかなとおり、本件の被上告人らのうち政昂資金のみの滞納者は一人もなく、すべて他の通常組合費等と共に包括して滞納しているのであり、明示的にも黙示的にも、特に思想信条の理由を表示して右資金の納入を拒否した者は一人もいない。因みに、一審判決添付の一覧表により試算すると、政昂資金滞納者一九名につき、各人の合計滞納金額と政昂資金二〇円との比率は、その大多数が一パーセントにもみたず、思想信条の自由云々はあとから附加された口実にすぎない。

以上の諸点を勘案するならば、被上告人らの市民的目的としての政治的思想信条の重要さはもとより充分認めるとしても、本件の政昂資金の徴収がそれを実質的に阻害するものとは到底解し難い。

(三) 会社の行なう政治献金と労働組合

上掲昭和四五年六月二四日の最高裁大法廷判決は、製鉄会社の政治献金の可否に関し、

「会社は他面において自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであつても、会社に社会通念上、期待し要請されるものであるかぎりその期待ないし要請にこたえることは、会社の当然なしうるところであるといわねばならない。」

と判示した上、

「災害復旧資金の寄付、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力はまさにその適例であろう。会社がその社会的役割を果すために相当な程度のかかる出捐をなすことは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主らの利益を害するおそれはない」

と判示し、さらに以上は政治資金の寄付についても同様であるとして、

「憲法は政党の存在を当然に予定していると言うべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同様に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは国民としての重大な関心事でなければならない。

したがつて、その健全な発展に協力することは、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様としての政治資金の寄付についても例外ではないのである」

とする。

右の判示によつてみれば、労働組合も社会の構成要素たる一つの社会的実在なのであるのみならず、営利会社の場合にかかる「社会通念上」の期待・要請が認められるとすれば、副次的にもせよ政治的行動目的をかかげる労働組合の場合にも当然これが認められるものと解される。すなわち、上記の判旨に照し、政党への寄付金も、政党に対する協力の一つとして、労働組合が当然なしうるところと解される。

従つてこの点に関する労働組合の行為能力の存在はあきらかと言うべきであろう。

これを団体の構成員の政治的思想信条ないし参政権との関係においてみると、会社は営利法人として本来営利活動を行ない、得た利益を構成員たる株主に配当する義務を負つており、それにもかかわらず、かつ政治的信条を異にする株主の意思のいかんにかかわりなく、会社は、一方的にこの利益の一部を特定政党に寄付することを認められるのであるから(東京地裁昭38.4.5本件第一審判決・判時330・P.29)その間の関係は労働組合が資金を組合員から強制的に徴収して政党に寄付するのと同一に評価しうる。この点につき右判決は

「憲法第三章に定める国民の権利、義務の各条項は、性質上可能なかぎり内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によつてこれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない」

とする。判決は右を前提とし、政党への寄付は国民個々の選挙権その他の参政権の行使に直接影響を与えるものでなく、政治資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしてもそれは病理現象にすぎないとし、国民の参政権への侵害を否定する。

右の判旨は、法人についての思想表現の自由権を認めたものと解されるが、仮りにこれを憲法上禁止されていないとの趣旨(最判解説昭45・P.906)に解するとしても、この法理が法人たる労働組合に適用されないとする理由はない。従つて、右判例によれば国鉄労働組合においても少くとも右判旨のを趣旨の表現の自由はもつものと解しうる、

判旨は、政党への寄付は右自由権にもとづくものであるとし、しかもかかる寄付は、会社構成員たる株主を含め個人の自由権の行使に直接の影響を及ぼさないとする。この観点に立つならば、金二〇円の政治的資金の徴収が個人の思想信条の自由を害するとなす原審の判断は、まさに右判例の趣旨に反するものと解するほかない。

それのみならず、会社と労働組合との間において、若し原判決の論理に従い、労働組合においては政治資金についての寄付が認められず会社の場合はこれが認められるということになるのであれば、法解釈の整一を欠くのみならず、社会常識的にみても甚しく不公平の結果とならざるを得ない。現代社会における政治と経済との緊密な関係は前述第三点のとおりであるが、経済的強者である企業はその支持する政党への寄付が公認され、経済的弱者の団体である労働組合はその支持する政党への寄付が否定されるということであれば、その結果両者の間の経済的・政治的地位は不当に懸絶し、労働者はその所期する経済的地位の向上も期待し難いこととなる。議会制民主主義の下におけるこのような不均衡は、必然的に議会政治に対する弱者の不信感を助長させ、民主主義の根幹を蝕ばむ結果となりかねない。

上記何れの点からみても、政昂資金に関する原判決の判断は甚だしく誤りであり、原判決は破棄されるべきである。

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